2013年の最福寺改修工事

 1703年に南関東を襲った元禄大地震は、真冬の深夜に起きたということもあって、建物の倒壊や火災、津波などで甚大な被害を出しました。東日本の震災で仙台空港が津波に襲われた映像を観て記憶している人もいるかと思いますが、当地に良く似た地形の仙台平野の3.11のときの津波到達域と同じくらいの津波(約5km)が、当時夜中に九十九里平野にやってきて何千人もの命を奪ったのでした。

 その後、大地震の被害を受けた八鶴湖畔の最福寺では、大がかりな復旧工事をします。6年の歳月をかけて、山を削り地盤を掘って境内を造成、はるばる浅草寺より部材を分けてもらって本堂が建立されました。このことから、浅草寺の旧観音堂が東金最福寺に移築されたという記述もあります。建立された本堂の面積は125坪。現代ではこのような建造物を木造で建てるということは非常に困難とされています。浅草寺の建物のほとんどは東京大空襲で焼失していますから、その建物の一部でも現存すること自体貴重だということが分かります。

 それから約300年後、東日本大震災で再びこの建物が著しいダメージをうけてしまいました。建物の基礎が沈下してしまい、傾きが出てしまったのです。傾斜面に佇むこの巨大な建物をどのような方法で修復するのか関係者らの協議がまとまり、工事を開始したのは2012年の10月から。
 まずは本尊をはじめ数々の仏具を解体し、保管場所へ安全に移動しなければなりません。非常に文化財的価値の高いものが多く、それだけでも3t車2台、3日を要したそうです。そして、300年の歴史ある建物をさらに100年200年残していくために、最先端の技術で以って工事にあたるのは金剛組という大阪の会社。
 金剛組さんは、寺社建築だけをやっている世界最古の会社で日本一の規模を誇る宮大工集団を持ちます。今回は、建物を動かすことなく基礎の下に杭を打つ特殊な工事に取り組んでいます。
 毎年2月恒例の豆まきも工事中の状態で行いました。写真は2013年3月の時点のようす。建物内部には歪みを矯正し維持するためのワイヤーが張り巡らされていました。こうして耐震補修のための大工事が終わるのは7月、最福寺の本堂が元通りの姿を取り戻しました。

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